01薬指のかわりに

はんぶんこ はんぶんこ

「明るくなったよね」「うんうん、若返った気もする」
久々に会った元同僚たちにそう言われて、それが皮肉なのか本音なのか、一瞬勘繰ってしまった。新しくできた商業ビルのレストランフロアは、まだ時間も早いせいか客もまばらで、私たち三人の声だけが響いている。

「いいよね、好きな時間に好きなドラマや映画を見て、好きなご飯を好きなだけ食べて、好きなときに恋をして、好きなもので家の中をいーっぱいにできるんでしょ? 憧れるわあ」「ね、自分の時間だけで構成されてるって、本当に憧れる。今の私の家、今度見に来てよ。冷蔵庫、全部アニメのシールよ?」「わかる。私もおんなじ。めちゃくちゃ高いソファ買ったのに、子供が跳ねたら三年でもうガッタガタ」「ウケる、本当におんなじ。あ、もう引っ越したんだっけ? そしたら家具も全部新調でしょ? いいなー、私、今一人暮らしするなら、一人掛け用のソファとか買っちゃう」

どこまでも妄想を盛り上げる二人のやりとりが、妙に白々しい。あなたたちだって、自由に暮らしていた時期はあっただろうに。 いや、気持ちはわかるのだ。自分だけの自由をもう一度手に入れたかったから、私はあの人と別れて、一人になる道を選んだ。確かに二人の言うとおり、今の私の部屋には、私が欲しかったものだけが綺麗に並んでいる。それはわかるけど、でも。

「そっちはそっちで、やっぱりいいなって思うよ?」
私は本心を伝えてみる。自由を選んだのは自分だったハズなのに、それにつきまとう精神的な不安定さは、欲しかった自由よりも時に大きく重たく、心を蝕んだ。今年はとくに、気軽に友人を飲みに誘うことも難しければ、出掛け先も限られていた。家で一人で過ごす時間が圧倒的に多く、そうしたときに、家の中に生命の気配が感じられないのは、想像よりも心細さに襲われるのだった。


――「生涯大切にすることを、誓いますか?」
多くの友人や親戚が見守るチャペルの中心で牧師から尋ねられた質問に、私たちは迷いなく「はい」と答えた。「いいえ」が存在しない、「Yes」or「Yes」の世界。夫となったその人は、きっと本心で「はい」と答えてくれていたと思う。それでも私は、心のどこかで「確証はない」と、思ってしまっていた。
一生、傍にいる? あと数十年もある、この長い人生を?
両親や友人たちに「別々の人生を歩む」と報告したとき、覚悟が足りなかったとか、思いやりが足りなかったとか、愛が足りなかったとか、とにかく私たちは、何かが「足りない」男女だったのだと、そうレッテルを貼られた。今目の前にいる二人からも、「辛抱強さが足りなかったんじゃない?」と言われたのを、今でも覚えている。

神前式の挙式を選んだのは他でもない私たちなのだから、神の前で誓ったのは間違いないのだけれど、この式がもたらす「一生を添い遂げる」という神話のような誓いに、少なくはない人たちが、苦しめられてきたのではないか。添い遂げられなかったのではなく、新たな幸せを目指すことにした。それだけのことなのに、決断には随分と時間が掛かってしまったし、親への説得は、その何倍も労を要した。

そうしてやっと手に入れた私の自由だったのに、ふとした夜に、寂しさを覚えたりもする。そこで初めて、家族やパートナーというものの有難さを再認識したりもしている。キスをすること、手を繋いで街を歩くこと、二人で食材を買い、料理をして一緒に食べること、そんな甘いシーンばかりが結婚生活なのではない。喜びを倍にすることよりも、悲しみを半分にすることこそが、誰かと一緒に暮らすことの意味なのではないか。一度は結婚し、そこから別々の道を歩むようになった今になってようやく、誰かと人生を共にする意味を理解しつつある気がした。

でもこれは、後悔ではないんだよな。それが自分でわかっているから不思議な気がする。だって、「誰かと生きること」が人生のゴールだなんて、あまりに画一的すぎる。人にはもっといろんな道があっていいし、それぞれの幸せを求めていいハズだ。誰だって、自分自身とは一生離れることができないのだから。


指輪を買いに行こう。
元同僚たちと解散し、一人でワインをあけて泥のように眠り、自然と目が覚めた土曜の朝。ふと、そう思った。
体の一部のようになっていた左手の薬指の指輪を、二人同時に外して捨てたあの日から、そのまま自分がほんの少し削れたような感覚が残っていた。欠落してしまった薬指のかわりに、今度は自分だけのための、リングを買う。我ながらいいアイデアじゃないか。

さっそく化粧をして、街に出る。冬の朝に届く、弱い太陽の光が好きだ。どこか控えめで、いつまでも見守っていてくれそうな優しさがある。私はウンと伸びをしながら、駅へと向かった。

「そちらは、今季発売になったアイテムなんです」
以前から気になっていたジュエリーショップに入って、一通り店内を歩いたところで、ふと店員さんに声をかけられた。そこで初めて、自分がずいぶん長い時間、一つの指輪を見ていたことに気付いた。店員さんはその指輪の説明をしながら、ショーケースを開けてくれた。
「パズルリングと言って、二つのリングがこうして、パズルみたいにカチッとはまるんですよ。普段は一つでお使いいただいて、気分によっては、二つに分けてお使いいただくこともできるかと思います」
リングを二つに分けながら、店員さんは説明を続ける。私は手品を見た子供みたいに、その仕草にいちいち驚いてしまっていた。気分次第で、組み合わせを変えられる。飽きっぽい私には、いいデザインかもしれない。色味も優しくて、普段使いがしやすそうだった。
「あの、これください」
自然と言葉が出ていた。本当はもっとじっくり悩むつもりでいたが、一目惚れで決めるのも、悪くはなさそうだと思えた。
「ありがとうございます。どの指につけられますか?」
そう聞かれて、私は自分の手をじっと見つめる。何も装飾されていない、10本の指。これからまた、誰かと恋をして、薬指に指輪をつけることもあるのだろうか?
別々の道を歩むことが自由ならば、また誰かと一緒になることも、自由と考えていいと思えた。選択肢や可能性を、自ら狭める必要はないんだ。
「じゃあ、人差し指でお願いします」
そう答えて、私は自分へのプレゼントに、少し興奮していることに気付く。自分自身とは、離れることができない。ならば、今日からもう少しだけ、自分を大切にしてあげよう。ギフトボックスに包まれていく自分の指輪を見ながら、そう思った。

文/カツセマサヒコ, イラスト/YOCO

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