01私たちのペース

はんぶんこ はんぶんこ

「で、まーた喧嘩したわけだ?」
ファミレスの席に腰を下ろすなり、友人は冗談めかして言った。
もちろん、図星である。
「え、当たり!? アンタたち本当に仲良いね!?」
「いやいやいや、なんでよ。めちゃくちゃ不仲でしょ、家飛び出してんだよ? こっちは」
「普通はそんなにしょっちゅうぶつかったりしないってー。諦めてない証拠だよー?」
「いやー、諦めてないっていうか、ただ喧嘩っ早いだけというか……」
「だって、もう何年? 付き合って五年くらい経ってない?」
「七年半、かな……?」
「なっが! え、同棲してからは?」
「三年……?」
「ひゃー! それでまだぶつかり合えるって、本当すごいね?」
「いやー、なんとも」
大学時代からずっとこうして、愚痴に付き合ってくれる友人がいる。それが私の誇りだ。彼女はもう結婚して、今もその隣に座る四歳児にYouTubeを見せているけれど、こうしてファミレスで話しているときだけは、時間が少しだけ、あの頃まで戻る気がする。

いつも、きっかけは些細なことなのだ。
部屋の電気が付けっぱなしだったとか、トイレの便座が上がりっぱなしだったとか、出かける直前まで服が決まらなすぎるとか、方向音痴にもほどがある、とか。
そうした小さな火種から始まるのに、そういえばアレも! コレも! と日々のストレスが石炭のようにくべられていくうちに、大声で怒鳴り合うほど激しい喧嘩までエスカレートしてしまう。

今回も、そろそろ職場から帰る、と連絡があったのが二十時だったのに、実際に帰宅したのは夜中の二時だったという、ありきたりと言えばありきたりなきっかけだった。しかし、理由を問いただしてみると、「会社の近くで友人が飲んでいたから、ふらりと立ち寄ってしまったのだ」と言う。終電を逃しておいて「ふらりと立ち寄った」だ? 連絡の一本も寄越さないでよくもまあそんなことが言えたものかと、後からイライラが止まらなくなり、翌朝になって食パンを投げつけた。そのことから、家を飛び出すほど大きな喧嘩になってしまった。  

価値観の違い。金銭感覚の違い。育ちの違い。趣味嗜好の違い。
言おうと思えばなんだって当てはまるし、そこに逃げたらまったくの他人になって、一緒に住むこと自体が馬鹿らしくなってしまう。結婚の予定はまだない。私たちは、一体なにがしたいのだろうか? モヤモヤと脳を動かしながら、財布一つ持たずに家を飛び出た私は、友人に助けを求めたのだった。

「でも、そういう人、夫になったらもっと大変そうじゃない?」
ドリンクバーから戻ってきた友人が、娘にジュースを渡しながら言う。もうかれこれ三時間近く、居座ってしまっている。
「とはいえ、七年半も一緒だから、もう情もたっぷり湧いちゃってるかあ」
「そう。本当にそれ。離れるのもそれはそれで、今更面倒なんだよねー……」
愛情だって情の一つだよ、とか余計なお世話だよねえ、と、友人は四歳の娘に変なことを教えている。予期せぬ英才教育に思わず笑ってしまった。
「まあ、周りはいろいろ言うと思うけどね。いいんじゃない? そこまで行ったら婚姻届の紙切れ一枚くらいで何か変わる二人でもないんだし、しょっちゅう喧嘩しながらズルズル生きていくのも、悪くないかもしれないよ?」
「うーん、そうかなあ……」
結局、答えは出ないのだ。明確な別れの理由もなければ、結婚に踏み出すほどお互いを求め合っているわけでもないのだから、また同じような日々を続けていくことはわかっている。わかっているけれど、やはり誰かに、背中を押してもらいたかったのだろう。それは甘えだったなと反省しながら、こうして甘えさせてくれる友人がいることに、改めて感謝しようと思った。
「まあ、ゆっくり考えなよ。二人の人生なんだから、他人が口出しても気にせずさ」
「うん、ありがと。とりあえず帰って、考えてみるわ」
その場に飽きた様子の友人の娘に手を振りながら、私はファミレスを後にした。外はすっかり冷え込んできている。

「あ、おかえり」
アパートに戻ってくると、彼がすでに帰っていて、キッチンで野菜と鶏肉を煮込んでいた。やさしい匂いが部屋中に立ち込めていて、思わず不機嫌な顔をするのを忘れそうになる。
「何つくるの?」
「カレー」
「甘いやつ?」
「ううん、辛いやつ」
「へえ、そう」
ああ、今日はこっちに合わせてくれるのか、と思う。カレーの好みすらも真逆だった私たちは、こうして一つずつ、譲り合っていくしかない。
「あのさ」
「何?」
キッチンタオルで手を拭いたあと、彼はテーブルに置いてあった箱を開けた。
「これ、買ってきた」
――ネックレス。一見地味そうだけど、月みたいな色をした石とパールに惹かれる。控えめにいって、好きなデザインだ。
「……今時、プレゼント攻撃?」
そこは素直にありがとうだろ、と思いながら嫌味を言ってしまう。
「んー、陳腐な手だけど、たまにはよくない?」
細く輝くチェーンを持ち上げてみる。軽い。けど、品の良さがあって、可愛い。自分の洋服との組み合わせをいろいろ想像してみるが、どれとも相性が良さそうで、この人は相変わらず、私のことをよく分かっているなあと感心してしまう。それもまた悔しい。
「……貰いはするけど、全部は許すわけじゃないからね」
できるだけ声のトーンを低くしながら、私は伝える。
「そいつはどうも」と言ったあと、「首もとが貧相だから、そういうの付けてた方が、きっと似合うよ」と付け加えられた。
「一言余計なの、いつもいつも」
彼の脇腹を、軽くグーで殴る。
「イッテ! ごめんて。もう許して」
「んー、はい。てか」
「うん?」
「こっちも、ごめん」
「あー、おう。こっちこそ、ごめん」
こんな関係がゆるゆると続いていくのも悪くはないんだろうなと、今日は思う。

文/カツセマサヒコ, イラスト/YOCO

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