01はんぶんこ

はんぶんこ はんぶんこ

「行ってみたいところ、いろいろあったのよ」
 
落ち葉が少し目立ち始めた表参道を歩きながら、母はそう言った。
渋谷駅から原宿を越えて、ここまでずっと歩き続けている。それでもなお、母の足取りは軽いままだ。六十を間近に控えた人のそれとは到底思えず、足腰が弱っていたのは、在宅勤務が続いていた私の方みたいだった。
 
「ねえ、ちょっと休憩しない? ずっと歩いてるし」
 
跳ねるように歩く母に提案すると、少し驚いた顔をして、母は返した。
 
「あんたまだ若いのに、情けないわねえ」
 
私が東京に引っ越してきて、何年たっただろうか。
「都会は嫌い。人の流れが早いし、みんな怖い顔してるから」母はそう言って、これまで数えるほどしか東京には来なかった。それが突然連絡してくるなり、三日後にはこうして一緒に歩いている。どういう風の吹き回しだろう。
 
結婚式場の隣に併設されたカフェに入ると、私は母に尋ねた。
 
「なんかほかの目的ないの? 数年ぶりに来たんだし」
「いや? ひとり娘とデートしたくなっただけ」
「いやいや、今更そんなこと?」
 
口に運ぼうとしたモンブランを落としそうになる。

昨日、新幹線用の改札口から出てきた母は、少しふくよかになったように見えた。痩せたりしてたら心配になる年齢だから、むしろ安心するのだけれど、今日の機嫌の良さといい、きっと何か原因があるのだろう。
私は率直に、母に尋ねてみる。
 
「ねえ、母さんさ、ちょっと太った? 気のせい?」
今度は母が、ケーキを運ぶフォークの手を止めた。
「気にしてるんだから、言わないでよ」
「げっそり痩せられるよりは何倍もいいよ。元気そうで安心したもん」
「そう? じゃあ、いっか」
 
そう言うと、満足そうな笑みを浮かべて、昔から好きだったショートケーキをまた頬張った。それを飲み込むより早く、今度は母が打ち明ける。
 
「去年から、お父さん、定年退職して家にいるでしょ?」
「ああ、うん、そうだったね」
 
言われるまで忘れていたほど、父に対して思うことは少ない。年末に退職祝いをしようと盛り上がったきり、実現せずに今日まで至ったことを思い出して、少し罪悪感に駆られた。
 
「それでねえ、ずっと家にいられたら、ちょっとは面倒になるかなって思ってたんだけど」
「ウンウン、そうね。わかる気がする」
「それが、ぜーんぜんそうじゃなかったの! 新婚に戻ったみたいで。すっごく優しくて、楽しいのよ」

その笑顔を見て、呆れてしまった。
まさか六十手前の母から、惚気話を聞くとは思わなかった。そもそも母にそんな恋心のようなものがあるとも思わなかったし、同時に、急に父のことを見直してしまった。
 
「じゃあ、まさか、幸せ太り?」
「そうかも〜。外食も増えちゃったりしてね。あんたが早く出て行ってくれたおかげで、老後も楽しいのよ」
「はあー、まさかの私がお邪魔虫だったってこと? それはそれでショックだわ」
 
母と笑い合っていると、お互い歳をとったなと思う。親子である以上に同じ人間であることを自覚してからは、母に対して率直に接することも増えた。
 
「それで、私は私で満たされたからかな。たまには子供の顔も見たいなって思えたの」
ケーキをはんぶんこしようと提案してから、母はそう言った。

カフェを出ると日は暮れ始めていて、ライトアップされた表参道は、より洗練された華やかさを醸し出している。気温は確実に下がっているはずなのに、なぜか少し、あたたかい。

「ねえ、お揃いのやつ買おうよ」
 
骨董通りから麻布方面へゆっくり向かおうとしていたところで、鼻歌まじりに歩いていた母がそう言った。指をさした先にあったのは、ジュエリーショップである。
 
「え、私と? なんで? お父さんとしなよ」
「それはそれでいいんだけど、違うの」
「え、何? どういうこと?」
「お父さん、嫉妬させたいから」
思わず吹き出した。
「いやいや、どんだけ乙女よ!」
「いいじゃんー、ちょっと協力してよ」
 
ちょっとした気持ち悪さすら覚えながら、母の恋心を愛おしく思い、悪巧みに乗っかる。スーパーで生鮮食品を見ている母の記憶しかなかったから、ジュエリーを見ている母の顔はなんだか新鮮で、きれいに思えた。

ショーケースに並ぶジュエリーの中から、コフレを指差して、母は言う。
 
「これにしてさ、私はネックレスにするから、あなたはこっち」
 
シンプルなネックレスの隣に、イヤーカフが並んでいた。確かに、母がつけるよりは私の方が似合いそうだ。いつの間に呼んだのか、店員さんにコフレを取り出してもらうと、母は私の耳にイヤーカフをはめてくれる。昔、小学校に行く前に髪の毛を三つ編みにしてくれた日のことを思い出して、なんだかやけに嬉しくなった。

「はい、完成。いいね、似合うじゃん」
 
今度は交代して、私も母の首にネックレスをつける。見慣れたはずの首や背中が、なぜか少し懐かしい。母の胸元を飾ったネックレスが、やさしく光った。
 
「うん、母さんも似合うよ」
「本当? ありがとう」
 
店員さんが鏡を持ってきてくれる。
店の鏡に映った私たちは、笑顔がちょっとだけ似て見えた。

文/カツセマサヒコ, イラスト/YOCO

Winter 2020 Limited "Treat"
Ear Cuff & Necklace Coffret
¥39,600

購入はこちら